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少し遅れて引っ越し後に読んだ本  

引っ越し後に読んだ本
 明けましておめでとうございます。年末、ようやく最終引っ越し先のマンションに落ち着きました。築38年のマンションの狭い部屋ですが、スケルトン・リフォームをしたので、中の設備は最新のものになっています。この部屋はもともと家族で住んでいた小さな一軒家を私の仕事場にして、妻と子供2人を住ませるために買ったもの。その後、高台に本を置くための家として鉄筋⒊階建ての家を建て、書庫書斎も確保して妻と2人で28年住んでいました。買ったマンションは子供たちが出て行ったので、人に貸していたのですが、今回、港区の昔の家の近くに新築のマンションを買うには資金不足なので、貸した方に明け渡してもらい、古く狭いマンションを完全リフォームして老夫婦の終の棲家にすることにしたのです。住んでいた家からは歩いて6,7分、真ん前にバス停があり、シルバーパスが使えるのでとても便利ですし、何せ生まれてこの方、港区を出たのは戦争中の縁故疎開の三年間だけなので、近くに何があるのかよくわかっているので、ここに戻ることにしました。
 本は小さな段ボールですが、200箱を処分、ここに運んだのは16個くらい。どうしても処分できなかった約60箱は地下のトランクルーム2つを借りて取りあえず積み上げてあります。
 小さなマンションですが、何とか書斎も確保、ただ現在は書棚がないので、本はリビングの戸棚と書斎に搬入した古い整理棚に押し込んであります。部屋は13階で当時は最上階でした。が、現在の超高層マンションから見るとむしろ下層階ですね。それでも日当たりは抜群で、午前7時過ぎから、狭いリビングに太陽の光がいっぱいにあふれ、晴れの多いこの正月は、毎日幸せな気分にしてくれました。
 80歳になってからの本の整理と引っ越しで、1時は死ぬかも知れないと思ったくらい辛い思いをしまいたが、ぎっくり腰にもならず、寝込むこともなく新年を迎えることができたのは、ありがたいことです。
 この半年、本も読めず、原稿も書けず、仕事も断って来た空白は大きなものがありますが、ともあれ、その犠牲が右下の奥歯2本と左足の親指のツメが剥がれるくらいで済んだのですから、まずは幸運というべきでしょう。
 そんなわけで、遅まきながら、今年のミステリーの収穫を少しでも読んでみようと評判のいい塩田武士の『罪の声』(講談社)を手に取りました。
 この作品はジャンル的にいうと、、有名なグリコ森永事件の闇に迫る 一種の記者ものですが、同時に事件の関係者が自分との関わりで事件の真相に迫って行くという面白い手法を採っています。
 大学に移る前に勤めていたのがメディア関係の団体だったので、私は沢山の記者と知り合いましたし、取材する仕事もして来たので、ジャーナリストにはどうしても親近感を抱いてしまいます。この作者も記者出身で、さすがに、取材活動などはリアルですし、取材の中心となる阿久津英士という記者には、普通の事件記者ものにはない個性味があります。社会部の記者ものは、佐野洋、三好徹などに優れたものがありますが、この『罪の声』に出てくる記者は、文化部記者。それが新しい。事件記者としての才能はあるけれど、自分は別のことをしたいという意識のある記者が、事件取材の鬼ともいうべき社会部のデスクに昭和・平成の未解決事件という企画の取材班の一員に加えられるという設定で、最初逃げ腰だった阿久津記者が次第に取材を深めて行く。この辺りは、多岐川恭の『虹が消える』、『仮面と衣装』などに登場する屈折した社会部記者とか藤原審爾の『ろくでなしはろくでなし』のいい加減なスポーツ記者などにも通じる独特な味わいがあって楽しめるわけです。
 もっとも扱われている事件は本文では、「ギン萬事件」となっていて、「グリコ森永事件」とはなっていませんね。しかし、これは読む人の多くがすぐ気が付くように事件の枠組みは、「グリコ森永事件」をそのまま取り入れているので、すぐわかります。『罪の声』という題名に示されている主題は、この大事件で「声」を使われた関係者が苦悩を背負いながら別の角度から事件の真相に迫って行くという、独創的なフィクションに巧みに生かされているように思われます。
 つまり迷宮入りの大事件の事実を作家的想像力を駆使して巧みにフィクションに生かしている所にこの作家の才能、力量があるわけで、山田風太郎賞を受賞したのも当然といえるでしょう。
 ところで脱線ですが、このところ、感じるのは、現実の大きな謎が余りに隠されすぎているのではないか、ということです。
 NHKテレビのドキュメンタリー「追跡・パナマ文書」とか『住友銀行秘史』などのノンフィクションで扱われている黒い金の問題とか、小池都知事のいう<都議会のブラックボックス>に入ったものとかは、一般市民にとっては想像を絶する金額の金ですが、その実態はほとんど明るみに出ていません。パナマ文書や秘史で取り上げられた金の問題は、いずれも<内部告発者>による情報が元になっています、清張亡き後、社会派ミステリーの時代は終わったという声が上がりましたが、少なくとも現実の社会では、秘密保護法の制定とともに、ますます黒い金が肥大し、国民の目の届かないものになっているような気がしてなりません。ミステリーにさまざまなジャンルがあり、無理に社会性を<導入>する必要はありませんが、巨大な社会的<密室>の謎に挑戦する作家が出て来てもいいんじゃないのかな、と、アメリカの政治権力の闇を描く『ハウス・オブ・カード』などのドラマを観ると、そんな思いにさせられます。
 だいぶ脱線してしまったので、話をもう一つの本『麻雀の誕生』(大修館書店)に移りましょう。
 題名からわかるように、世界的にも有名なゲーム麻雀の起源をきちんと探った本です。著者は、北海学園大学教授で、中国文学者ですから、中身はしっかりしていますが、私のような麻雀好きでないと、余り手にされないかも知れません。
 若いころの私はマルクス主義の影響を受けていた関係で、必然性ということに非常にとらわれていました。しかし、年を重ねるにつれ、世の中には必然性だけでは捉えられないものがあるということに気が付きました。九鬼周造の偶然性に関する哲学にも惹かれました。麻雀の面白さは、非常に偶然的要素が多いのにそこに柔軟な法則性があって、現実の動きをちゃんと認識するのには公式的な必然性の論理だけでなく、偶然的な要素も大切だというこを教えてくれることにあるのかな、とも感じます。
 ともあれ麻雀の面白さがわかったのは、年を取ってからなのですが、こんな複雑で面白い遊びがどうして生まれたのだろうか、という好奇心はずっと前からあったので、この本を手にしたわけです。
 日本では現在麻雀は、マージャンという呼び名になっていますが、1920年代の初めのころまではマーチャンといっていたようで佐佐木茂索の小説の中に「マーチャンに行く」といったら母親に女友達に会いに行くと誤解されたという話が書いてあるそうです。現在の麻雀、マージャンという呼び方が日本で定着したのは1926年から27年にかけてのことであると指摘されています。では、本国の中国ではどうかというと、北京で麻雀というと雀という意味でしかなく、日本でいう麻雀は麻将といっているとのことですが、上海では、清代末年に麻雀と表記されていて、著者はこの本について「わたしたちの知る麻雀が、じつは意外に歴史の浅いものであったことを明らかにし、それがいかにして誕生したのかをさぐる。そのさいに、麻雀を育てた揺籃として、、『海上花列伝』の舞台、上海の租界に注目する」と述べていますが、麻雀が世界的なゲームとして普及して行くにはアメリカでの大流行があったということも
詳しく説明されています。起源についてはさまざまな説がありますが、著者はこれらに厳しい批判を加えていて、そのせいか、起源についてはよくわからないようにも思えてくるのですが、とにかくこういう問題に関心のある人には、お勧めしたい本であることは確かでしょう。
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本のない生活  トランクルームは本の墓場か?

六本木一丁目夜景
 「本のない部屋は魂のない肉体みたいなものだ」とはローマの哲人キケロの言葉だが、魂を失ったような状態で、六本木の仮住まいのマンションにやって来てすでに2か月近い。その間に、まず逢坂剛さん、次いで柴田よしきさんから本を贈って頂いたほか、出版社から本や雑誌、出版PR誌などが届き、仮住まいの荷物に囲まれた殺風景な部屋もやっとこれまでのように生き返って来たような感じである。
 が、本が読める状態かというと、来た当初と違って少し気力、体力は回復して来たが、本を読む精神的なゆとりがまだ持てない状態である。
 というのもやって来た時はパソコンの電源コードが梱包されていなかったため、秋葉原まで正規の製品を買に行ったり、パソコンやWi-Fiが使えない状況も考えてLTEでどこでもアクセスできる富士通のARROWSというdocomoのタブレットを買って置いたのだが、一番必要な時にダウンしてしまい、怒り狂って店に持って行ったが、10日ほど点検修理にかかるという返事だった。その後は
仮住まいの有線LANにつないでどうにか情報の検索や長文のメールなども送れるようになったが、1週間ほどは新聞もテレビも見る暇がなく、高校の同級生で親友の画家中西夏之君の死も友人からの手紙で数日後に知るといった状態だった。
 仮住まいへの転居通知は郵便局に出してあったので、郵便はきちんと配達されるが、宅急便やメール便は必ずしもきちんと転送されない。またユーメールなどでお歳暮などが送られてくると、同じ港区でも配達地域が異なるという理由で電車で違う郵便局まで取りに行かなければならない。こうなると、かなりの時間のロスになる。また、右の奥歯の3本の治療のため、毎週歯科医のもとに通っているが、これまた時間を取られる。すでに治療を始めて1か月半近くになるが、これから2本の虫歯にセラミックなどをかぶせ、さらに3本目はインプラントにするか、入れ歯にするかの選択を迫られている。いずれにしても、10数万から35万円程度の出費でこれも結構痛い。
 そんなこんなで、本は手元に届くようになったが、とても落ち着いて本を読む状態ではないのである。
 しかし、いやなことばかりかといえばそうでもない。仮住まいの六本木のマンションは大手不動産の仮住まい専用のマンションで、住んでいる人は、1か月から最長でも半年くらいの短期滞在者で、毎日のように入退去者が現れ、引っ越し業者のトラックが近くに駐車している。そういうこともあってセキュリティーはかなり厳しく、いわゆるダブルチェックで、入口と各階入口はキーがないと開かないし、ゴミ置き場に入るのにも鍵が要るし、再び入るのにもまたキータッチが必要。このため、新聞も毎朝、毎夕下まで取りに行かなければならない。しかし、大型スーパーは徒歩1分、コンビニも2つが徒歩2,3分六本木四丁目のバス停が徒歩4分くらい。地下鉄六本木駅、六本木一丁目駅が6~7分くらいという至極便利なロケーションである。歩くのが面倒なので、バスに乗るようにしているが、渋谷駅行きは朝は2,3分間隔で出ているし、食事をする場所も徒歩範囲にいくらでもある。バスで1停留所乗る六本木駅前で、降りた目の前に青山ブックセンターがあり、三井住友銀行もあるので、至極便利な所である。
 確かに日常生活だけを考えれば、仮住まいのマンションは楽だし、便利でいいのだが、私のような本の好きな人間には、散歩のルートに区の図書館が2つある最終移転先の三田の方がやはりいいのである。それにご承知のように70歳以上のシニアには都バスや都の地下鉄が無料で乗れるパスがある。三田線沿線には、出版社が文学関係のパーティーをやる帝国ホテル、東京會舘、パレスホテルなどがあり、私が会員になっている日本記者クラブも内幸町にあるのある。
 私が昔知っていた六本木は麻布警察書の裏手にあったラウンジとか、交差点からは少し離れたクレージー・ホースだとか今から50年も前の深夜営業の店だが、もちろん今ではなくなっている。しかし、六本木の交差点辺りは、ミッドタウンや六本木ヒルズができてもそんなに昔と変わらない雰囲気である。ただ、夜は得体の知れない外国人が街角に立っていて、高齢者の私などは不安になる。
 そこで、六本木一丁目の地下説のある再開発地域の写真を撮ってみた。結構幻想的な雰囲気があると思ってシャッターを切ったのだが、見る人には暗くてよくわからないという感想しかないかも知れない。ここは大手不動産が作ったグランド・タワーとか泉タワーという高層ビルが立ち並ぶ地域である。確か赤川次郎さんが近くに住んで居られたと思う。写真は、南北線の六本木一丁目の駅に向かう下りエスカレーターがある場所で、これから地下に降りてしばらく歩くと、レストラン街にぶつかるわけである。
 この半年は引っ越しのため本の整理に苦闘する毎日だった。結局、段ボールで200箱くらいを処分したが、最後には、引き渡し
日に間に合わず、待たせてあった廃棄会社に処分を一任したので、読もうと思っていた本や取って置こうと思っていた本も廃棄されてしまった。2つのトランクルームを借りて5,60箱は置いてあるが、取り出した本があっても、段ボールをいくつも取り除かないと、最初に入れた箱まで到達しないので、自分の著書も今は出せないという事態になっている。
 友人の紀田順一郎さんはホラーやミステリーだけでなく、元神奈川文学館の館長も務めた出版や図書館の専門家だが、高齢者住宅に移られた際に千五百冊程度に蔵書を絞られたといって居られたが、さすがに寂しそうであった。また、台湾在住の元『幻影城』編集長の島崎博さんは、1万5千冊ほどの日本語の本は読める人がいないため、売るにも売れず、やはり倉庫を借りているといっていた。「本の奴隷だね」とは本を限りなく愛している島崎さんの偽りのなり言葉である。
 私が二十八年住んだ戸建ての家は、本のために建てた家だった。書庫、書斎、5つの部屋に本を置き、ガレージや廊下や階段のスペースまで本があふれていた。今回リフォームをして住むことにした家は、せめてもの罪滅ぼしのため、体が段々不自由になりつつある妻のために台所や浴室など生活空間を重視した部屋にした。当然、書庫もなく、書斎も以前の半分程度になり、トランクルームがないと、自分がはみ出てしまうようになった。以前の書庫には特注の大きな3層式の木造のスライド書棚が全部で10基ほどあったが、新しい書斎には、梁が長く出ているため、一基も持って行くことができなかった。仕方なく、出来合いの本棚をネットで調べてみたが、本の入るものは180cm以上のものしかなく、頭を抱えている。では注文制作はどうかと、調べたら、関西のメーカーのスライド書棚の値段が1基30万円もするのにびっくりした。
 トランクルームは結局本を死蔵する場所になってしまうのか。まだ、本の整理の所まで頭が働かない状況で、三年以内に何とか
トランクルームも使わないようにしようと決めてはいるが、今の所は春になったら考えようと先延ばしにする公算が大である。
 トランクルームを本の墓場にしないための妙案があるのかどうか、皆さんの意見も聞いてみたいと思っている。

悪夢の3ヶ月 読書人の終活の地獄

 皆さん、お久しぶり。本の整理を始めて3ヶ月、読書人の終活の悪夢のような日々からやっと解放されました。
 小さな段ボールですが、約200箱を処分、最終的に引っ越すマンションの地下に別会社が経営する2カ所のトランクルームに約
 50箱を預け、小さな書斎に置く予定の本約20箱は日本通運の倉庫に家財とともに預け、現在は六本木の仮住まいのマンションに妻と二人で住んでいます。
 現在手元には以前から持っていた江川卓の『謎解き「罪と罰」』(新潮社)、ほかに最近買って読んだ吉川洋の『人口と日本経済』(中公新書)の計2冊しかありません。
 もっとも、タブレットにはKindleに入れた英語とフランス語の本がかなり入っています。それというのも、段々年とともに記憶力が衰え、少しは英語かフランス語で読めば、単語を忘れずに済むかも知れないということで、ドストエフスキーの全作品の英訳、フランスの『失われた時を求めて』を含めたプルーストの原書の全集などを入れてあるのです。『罪と罰』の英訳を読んで改めて感心したので、書庫の中にあった昔読んだ江川卓の本も読み直すことにしていたのです。が、改めて振り返ってこの3ヶ月ほとんど本を読んだ記憶がありません。
 というのも、毎日朝起きると布団の中でまず、腰痛体操をやって、食事が終わるとすぐ、本を段ボールに整理して入れる作業を
続けてきたからで、午前中一通りやると、昼食後は昼寝し、目を覚ましてからは時間があれば、いやになってさらに梱包作業をしたり、散歩をしたりしたのですが、段々疲れて来て、書庫や書斎、ガレージに入るのがいやになってぼーっと過ごすことも多かったわけです。そんな状態なので、夜の出版社の受賞パーティーなどはストレス解消のため、極力出席するようにしていました。
 が、家の引き渡し期日の10月27日近くになると、一人でやっていた本の整理が大きな負担になって来ました。特にその前々日の25日は家のすべての不要品を廃棄する業者に取って置く本、処分する本を私が指示することになってました。しかし、この日は
ミステリー文学大賞の選考会が1年前から予定されていて午後4時半までに椿山荘に行き、選考会を終わるのが夜になることがはっきりしていました。26日朝には家からすべての家財や本その他を一切一掃しなければならなかったのですが、廃棄業者はこのままでは期限までに家を完全に片付ける保証ができないといわれ、午後3時には私はすべてを廃棄業者に委ねる決断をせざるを得ませんでした。
 この夜、9時ころに家に帰ると、娘と廃棄業者が居て、最後に残った段ボールをトランクルームに運んでもらって、何とかそれを二つに分けて入れることができました。この日六本木の家に帰ったのは午前2時、さらに翌日は元の家に残っている可燃ゴミを45リットル入り12個を町会のゴミとして朝の8時までに出すため、早起きしてタクシーで元の家に行き、ゴミ出し。さらにその後、3階建ての我が家の押し入れや収納箇所を各階ごとに最終点検したところ、何と2階の床の間の地袋の奥からアルバムの詰まった段ボール一個が見つかりました。
 こうして引き渡しの前日の昼過ぎには、孫と二人で掃除をして翌日朝の引き渡しの日を迎えました。
 何とか予定どおり我が家の片付けは終わったわけですが、1週間ほど続いた睡眠不足とストレスが急になくなって、緊張が解けた途端、右下の奥歯2本が傷み出し、麻酔をして処置してもらう羽目になり、また、左足の親指をどこかにぶつけたため、生爪がはげ、化膿しているのに初めて気が付きました。
 それとともにどっと疲れが出て何も手に付かない状態でしたが、賞の選評を書いたり、高校の同級生で画家の中西夏之君の通夜、ある新聞社からの別件での取材などがあり、休む暇もなく11月になってしまいました。この1週間でやっと一休みできる状態になり、そうだブログも休んでしまったな、と気が付いた次第です。ごめんなさい。
 とにかくこの3ヶ月はまさに悪夢でした。とくに書庫と書斎の特注の木製の大型3層式スライド書棚10個の中の本を全部、撤去しなければならなかった10月の19日の前日は、分解撤去する書棚を運ぶ大型トラックが家の前に着く直前まで本を整理する作業をしていて1時間しか眠ることができず、この時は本当にこのまま続けると死んでしまうかも知れないとも思ったほどでした。
 でも、ギックリ腰にもならず、何とか生きているので、もうしばらく好きな本を読んで頑張りたいと思っていますので、どうぞよろしく。
 

本の処分という苦行   読書人の終活


 暑いですね。皆さんお元気ですか。リオ・オリンピックでの日本選手の活躍に睡眠不足をものともせず、テレビに見入っている私ですが、連日の本の整理にはいささかバテ気味です。以下、である調に文章を変えるので、少々硬くなりますが、悪しからず。
 前回書いたように、バリアフリーのマンションに移転するため、目下、毎日、本を段ボールに必ず1箱、体調の許す場合は2,3箱詰める作業を続けている。というわけで、7月にはざっと60箱の本を処分した。一つの段ボール箱には、文庫本が約100冊、それに単行本が10冊くらいを加えて1箱が30キログラムくらい入る。正確とはいえないが、文庫本を約5千冊、単行本を600冊ほど処分したことになる。5千冊というと、いくら文庫本でも、かなりな量になるのだが、まだ、整理は半分くらいしか進んでいない。
 私はいつ死んでもおかしくない、男の平均寿命に達した正真正銘の後期高齢者である。本の整理をやる年ではない。愚痴をいうのは、いやだが、皆さんのためにあえて申し上げる。本の整理、処分は60代で済ませてください。
 漂泊の俳人種田三頭火の句に「分け入っても分け入っても青い山」というのがあったが、目下の私は、「段ボールに分け入れても、入れても雑本の山」という哀しい状況なのである。
 が、時々、段ボールに入れようとした本に、ああ、こんな本を読んだな、という思い出すものがあり、寂しいことばかりではない。
 今回、イラスト代わりに載せたのは、私が青春時代に最も影響を受けた花田清輝の昭和21年と22年に刊行された評論集の初版本である。 今から70年も前に出たもので、紙も悪く、経年変化で茶色になっているが、私にとっては、青春の書であり、思い出深い本でもある。私は本は読めればいいという人間で、コレクターではない。この初版本は決して高い物ではないし、別に全集も所蔵しているので、中身はそれを読めば済む。だが、初めて読んだころの感動がこの古い本にはまだ息づいているのだ。だから、この本だけは、引っ越し先に持って行くつもりである。私は、『復興期の精神』に収録されている、ジョットオ、ゴッホ、ゴーギャンを論じた「歌」という文章が好きだ。大学に入ったばかりの時代に読んだこの文章は、今も私の胸に響くものがある。 
 「嘲笑するのはやさしい。いかにもこの壮大な夢は、ゴッホが、剃刀をもつてゴーガンを追ひ、相手のつめたい一瞥にあつて、たぢたぢとなり、自分の片耳をそぎ落とすことによってをはつた。しかし、それがなんだといふのだ。白熱する素朴の前にあつては、あらゆる精密な思想も、ーそれが思想にすぎないかぎり、すべて色蒼褪めてみえる。高らかに生の歌をうたひ、勝ち誇つている死にたいして挑戦するためなら、失敗し、転落し、奈落の底にあつて呻吟することもまた本望ではないか。生涯を賭けて、ただひとつの歌を、ーそれは果たして愚劣なことであろうか。」
 私はさまざまな場面で、この花田清輝の文章の一節を思い出して生きて来た。「生涯を賭けて、ただひとつの歌を、ーそれは果たして愚劣なことであろうか」と。そして、自分にとって、その「歌」とは何であったのか、と今も問い続けている。
 現在では、花田清輝は吉本隆明との論争で負けたことになっているが、私は、吉本隆明は文芸評論家としては確かに優れているが、「転向論」や、「言語にとって美とはなにか」などの原理論にも大きな疑問を持っているし、原発に対する姿勢にも同意できないので、思想家としては、花田清輝と同じように全面的に新しい角度から検証する必要があるという立場である。
 ちょっと脱線したので、本の処分という目の前の課題に戻ると、これは普通の読書術などの本では、触れられていないので、本を沢山持って居る人のために、少し私のささやかな経験を記して置こう。
 本の好きな人が本を処分する時にまず考えるのは、できれば、捨てたり、資源ゴミということでなく、本の好きな人に渡したり、よんでもらうようにしたいということだと思う。すぐ頭に浮かぶのは、どこかの図書館に寄贈できないか、あるいは本の好きな人にもらってもらえないか、ということだが、これがなかなか、難しい。現在はどこの図書館でも書棚 や書庫スペースの確保に頭を痛めているのが実態だし、これは個人でも同じなのだ。大学や区の図書館でもそうで、なかなか寄贈するといっても喜んではもらえないのが現状なのだ。稀覯本など価値のあるものならともかく、個人が要らなくなったものなどをなかなか受け入れてはくれないのである。
 そこで、頭に浮かぶのは、自分が読む価値があると考えるものや、実際に商品価値のあるものなどをネット・オークションなどに出してみるとか、目利きの要るきちんとした古書店に処分を委ねるということである。確かにこれが実現すれば、金銭的にも実利があるのだが、本の数が多いとオークションは、準備に時間がかかり過ぎて、まず不可能。目利きの古書店に買ってもらうのが、一番理想だが、私の場合は、すでに10年ほど前に、自分でも価値のあると考えている全集ものとか、参考図書などは知人にあげたり、図書館、資料館に寄贈してしまって、いいものがほとんどない状態で、とてもプロの方にお見せするものではない。
 といって、町会の資源ゴミとして出すのは、余りにも哀しい。そこで、思い付いたのが、いわゆる新古書店のことである。
 ブック・オフといえば、だれでも知っているが、多くの引っ越し業者が勧めているのが、この出張買取で、私が最初に考えたのはこのシステム。早速、自分で買った段ボール10箱に本を詰め込んで、引っ越し業者のパンフレットに載っているブック・オフの出張買取の部署に電話を掛けて見た。ところが、30キロ弱という箱では重すぎるので、もっと小さな箱に詰め替えたほしいということだった。専用の段ボールならお売りするというので、少々かちんと来た。10個の段ボールを詰め替えるとなると、少なくとも1日以上かかる。その間、ガレージの空きスペースがふさがって、別の段ボールを詰めて置く場所がなくなるのだ。
 というわけで、自分で本の買い取り業者を調べて見た。
 まず、引き取りの許容範囲が広いのが、「もったいない本舗」。ここは申し込むと、段ボールを10個までと粘着テープを無料で送ってくれ、宅急便の業者が取りに来てくれる。ただ、引き取った後のプロセスが良くわからないので、買取価格を確認してから売ることを必ず確認した方がいい。ただ、ここは古書店として、Amazonにも出品しているが、いい本にも1円というような価格付けがされていて、びっくりする。おそらく、送料によってコストと利益を得るような設定もあるのかも知れないが、そのあたりが素人にはわからない。買取価格は期待しないが、大量の本を処分する場合には、割り切って利用できるともいえる。
 次が「ブック・マニア」。ここもほぼ「もったいない本舗」と同じだが、こちらは多少、本の評価をしているようである。
 この二つは、売り主の確認のため、売るたびに、自動車の免許証などのコピーや、買い上げ金の振込先などを書いて、荷物の1つに入れなければならない。何度も同じところに売るのにその都度、繰り返さなければならないのは面倒だ。
 その点、「買取王子」という業者の場合は、マイページに一度登録すると、次の時はそういう書類を書く必要が無いのと、集荷して、買取金額を振り込むまでのプロセスがこのページにログインするとわかるので、透明性がある。その点はいいが、段ボールの数は5つまで、粘着テープ付かない。ただ、引き取りに来た宅配業者の話だと、一般家庭では、普通、出す箱は1つか2つだという。私のように一か月に60個も出すのは、ごくごく例外のようだ。
 いずれの場合も、買取価格の根拠はわからないし、どれも余り金額的には期待できないが、大体、「もったいない本舗」が一番低く、次が「ブック・マニア」、「買取王子」という順に少しずつ上がっているような印象である。私の場合、金のことより、好きな本が捨てられられなければいいという考えなので、余り気にならないが、それでも、本の価値がわかっているのだろうか、という疑問を捨て切れないのが、残念である。
 どうしても、これらの業者に引き取ってもらえないようなものは、町会の資源ゴミに出すことにしている。私の町会では資源ゴミの回収は、ボランティアとして青年部がやっているので、それに協力するという意味もある。昔、月賦で買った平凡社の世界大百科事典26卷を出した時はほんとに悲しくなった。ただ、事典を引き取らないというのは、これらの業者の共通基準なので、始末に困っている時には、本当は感謝しなければならないのかも知れない。
 実は、事典といえば、やはり学生時代に月賦で買ったフランス語の10冊本の大部のラルース辞典も捨てきれずに那須の山荘に置きっ放しにしてあるし、当時1年ほど購読していた雑誌Les Temps Moderne もガレージの片隅に眠っている。これらも後1か月半くらいの間にどう処理したらいいのか、今のところは取りあえず日本の本を段ボールに入れるだけで、そこまで頭が回らないのである。
 段々愚痴っぽくなってきたので、今日はこれでおしまい。詰まらないことばかりでごめんなさい。

さらばわが書斎 そして愛する本たちよ!  シニア読書人の宿命 

私の書斎
 もう2か月も経ってしまいましたが、まず、4月23日に東京豊島区の中央図書館で開催された私の講演会「権田萬治『ミステリー批評55年 泡坂妻夫と雑誌『幻影城』」にご参加頂いた皆さんにお礼を申し上げます。5回目になる「泡坂妻夫展」の一環としての講演でしたが、おかげさまで泡坂さんのご息女三姉妹にも出席して頂き、満員の盛況で楽しい会になりました。私の本を買ってくださったり、読んでくださった皆さんと元気な姿でお会いできる恐らく最後の会になるのではないかと思って居ただけに本当にうれしく思いました。それから2か月もブログをお休みしたので、また、何かあったのではと心配してくださった方も居られるかも知れませんが、おかげさまで元気です。ただ、連日雑用に追われ、なかなか心のゆとりが持てずにサボってしまいました。ごめんなさい。というわけで、今回はそのいいわけになります。
 
 津野海太郎の『百歳までの読書術』(本の雑誌社)を読んでいたら、こんな文章にぶつかった。
 「定年があろうとなかろうと、大学教師、文筆業者、編集者、ジャーナリストなど、ある量の蔵書を持たないと商売にならない職種の人間は、古稀をこえるあたりで、たいていは大きな決断をせまられる。」、「これまで所蔵してきた本を死ぬまで持ちつづけるか、それとも思い切って処分してしまう、そこにもうひとつ、決断をすこし先のばしするという決断を加えて選択肢は三つ。さて、そのうちのどれをえらぶか。」
 この本の著者の津野さんは演劇の演出家であり、出版編集者であり、若者文化に関する著書も多い方である。その後、豊かな経歴を生かして大学教授になられている。大学院で博士論文を書いてから教員になるというアカデミズム一筋の方ではなく、社会的経験を踏まえて教員になられたという点で、メディア団体に勤めながら評論活動を続けて来て、アカデミズムの世界に飛び込んだ私と多少共通するところがある。それだけに、蔵書の処分は身につまされた。
 70歳で大学を定年になった後も、私は光文社の文化財団のミステリー文学資料館長として週1~2回出勤していたのだが、大学の定年の少し前から<終活>を始めた。一つは近くの大増寺に親戚と一緒にお墓を買ったこと。白金に先祖代々のお墓があるのだが、任せていた妹からもう一杯で入らないといわれたので、戦前の探偵作家で探偵作家クラブの会長を務めたこともある渡辺啓助先生が眠っている墓地の一区画を買ったのである。蔵書の方も、海野十三全集とか香山滋全集などを知人に差し上げたり、英語とフランス語のミステリーの基本的な参考図書を成蹊大学図書館に寄贈したし、雑誌の『幻影城』や旧「宝石」のバックナンバーや戦後のミステリーの単行本の一部を文学資料館に寄贈した。大学の定年の時は、マスコミ研究に関する原書や専門の研究書を後任に研究室ごと明け渡し、家にあったこの関係の資料は、他の大学で非常勤講師を務めていた若い人にあげた。しかし、現代のミステリー作家やミステリー以外の作家の作品や評論、哲学思想、政治書などはそのままにして⒊年前に車を廃車して空いているガレージや各階の狭い廊下の壁に沿って現在まで積み上げてある。
 つまり、津野さんのいう「決断を少しさきのばしする」という最後の決断を続けてきたのである。
 おそらくこのままの状態で、やがて死を迎えるのではないか、と思ってもう何もしないと決意を固めていたのだが、そこに昨年春、出版社のパーティー出席後の右足首骨折という事件が起きた。どうやら半年後には歩けるようになったが、松葉杖、車椅子生活も体験、鉄筋3階建ての高い階段とバリアばかりの室内にこのまま生活していると、いつかどうにもならなくなるのではないか、という不安が生まれた。それに加えて、妻も膝が痛み、階段がつらいといい出したのである。
 さて、どうするか、と考えていたところに親友の元雑誌「幻影城」の編集長で台湾在住の島崎博さんが高齢者住宅に移ったいう知らせがあり、さらに昨年末、昔からの友人であり、ミステリーや幻想文学の大家であると同時に本や図書館など出版文化の研究家で、神奈川文学館館長も務められていた紀田順一郎さんが、やはり高齢者住宅に移転されることになり、本の整理で苦労されているという話を耳にした。早速、久しぶりに電話をすると、本との別れが本当に辛そうで、「夜眠れない」といって居られた。
 その後、紀田さんは名誉会員になる時期なのに、推理作家協会から退会された。これにはその時期を迎えた私はショックを受けた。愛するペットに死なれた時の悲しみをペットロスというそうだが、読書人にとって本との別れは、ブックロスというべき感情を引き起こすのかも知れない。紀田さんは、私と違って真の意味での愛書家であり、年期の入った優れたコレクターでもあった。それだけに、私などと違って想像を絶する悲しみがあったのではないかと思う。
 しかし、人間にはいつかすべてに別れを告げなければならない時が来る。「さよならだけが人生だ」と思えば、クールにそれに対処するしかない。金も無いので、私も昔、子供を住ませていた小さななマンションをリフォームしてそこにわが終の棲家を移すことを決意した。鉄筋⒊階建て5LDKのわが家は本のために建てた家だった。狭い敷地いっぱいに建てたので、隣家との隙間はほどんどない。日常の生活空間は2階の居間と奥の間、3階の3つの部屋で、各階にパソコンを置いてあるが、1階はいわば本だけの空間で、3層式のスライド書棚を壁面に沿って3列半置いた7畳ほどの書庫、そして5畳ほどの書斎になっている。洗濯物を干す時は屋上まで上がらなければならない。今の家は良くいえば、高台に建っているが、いつも坂を上り下りするのが段々きつくなっている。平地のマンションに移ると、坂道や階段から解放されるが、全体として居住スペースは今の3分の1に大幅に縮小する。一番困るのは書庫や今は本を置いてあるガレージが無くなることである。
 したがって、蔵書の大半は処分することになる。足を骨折して以後書斎の入口にも本が積んであったため、書斎や書庫に1年以上入れなかったし、出版社から送って頂いた本を玄関の両壁面に積み上げていたし、ガレージにも空きスペースが少なくなっている。取りあえず、玄関と書斎の入口から整理を始め、取りあえず一番小さめの段ボール20箱にまとめたところである。これから3か月かけて、書庫やガレージ、各階の廊下などに置いてある本も整理して処分するという計画だ。
 移転先はやはり港区三田で現在の家とは徒歩6,7分。日常生活はほとんど変化がない。築38年という古いマンションだが、幸い耐震補強も大幅な全体の補修工事も済んでおり、最上階で日当たりも良く、交通の便も今より良くなる。スペースの少なさに不安を感じるが、昔マンハッタンの築60年のステュデュオに住んだことを思えば、完全リフォームすればむしろ快適になるだろう、と目下は強気で蔵書の整理に当たっている。書庫は無くなるが、ごくごく小さな書斎は作るので、今の書斎の3層式書棚は一つだけそのまま持って行くつもりである。
 今ままで仕事として書いていた原稿は辞めて、これからは好きなことだけを趣味として書く。経済学者のシュムペータが80歳になったら書こうとして果たせなかった小説にでも挑戦してみたい。しかし、ミステリーは余りに沢山読み過ぎたので、無意識に盗作してしまうかも知れない。では、何を書くか。いくら年を取っても、谷崎潤一郎の『瘋癲老人日記』とか、先ごろ三島由紀夫賞を受賞してさまざまな話題を呼んだ蓮實重彦さんのポルノふうの『伯爵夫人』のようなものは書きたくない。ロス・マクドナルトのことと東野圭吾のことはまとまったものを書きたいと思っているが、ただ一つだけ小説を書いてみたい。こんなふうに本を整理しながら、現実逃避の夢を見続けるこのごろである。
 写真はわが書斎の現状というか惨状というか、混雑状態の書斎を撮ったものである。28年住んでいたのに、ほとんど家の写真を撮ったことがなく、記録として残して置きたいといういささか感傷的な気持ちからあえてブログに掲載することにした。 正面の書棚は3層式なので、『花田清輝全集』やアメリカのケネディ暗殺事件の資料などは隠れて見えない。ともかく、紀田順一郎さんとは違って、私はむしろ移転を楽しみに蔵書の整理に目下追われている最中である。
 落ち込んだ時には、また、このブログでご報告することにして、取りあえず2か月のご無沙汰のいいわけとさせて頂くことにした。
プロフィール

権田萬治(ごんだ・まんじ)

Author:権田萬治(ごんだ・まんじ)
 評論家、前ミステリー文学資料館館長、元専修大学文学部教授(ジャーナリズム論、近現代文学担当)。
 ミステリーを中心に評論活動に従事。1976年『日本探偵作家論』で日本推理作家協会賞、2001年新保博久氏と共同監修した『日本ミステリー事典』(新潮社)で本格ミステリ大賞、2010年『松本清張 時代の闇を見つめた作家』(文藝春秋)で大衆文学研究賞を受賞。
 評論活動50年の間に、幻影城新人賞、江戸川乱歩賞、推理作家協会賞、横溝正史賞、創元推理評論賞の選考委員を歴任、現在、ミステリー文学大賞選考委員。

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